外国人が日本の病院で注意すること【教えて! ママ・アミア!】

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日本に住んでいるすべての外国人に贈る! 頑張っているあなたに、ママ・アミアのあったかくて、ときに厳しい、日本で生き抜くためのサバイバルコラム。メンタルのケアから、ゴミの出し方まで!? 寂しくなったらいつでもここに帰ってきてね!(もちろん日本人だって大歓迎!)
今回は外国人が日本の病院にかかる際のアドバイス!

外国人が日本の病院で注意すること

いま、新型肺炎のコロナウイルスが話題になっているわよね。そして、わたし個人もいろいろな健康問題を抱えている。健康であることが、生きる中で一番大事なこと。今日はこれが言いたいの。

あなたの健康より大事なものはない。お金よりも、仕事よりも、家族よりも、友達よりも、大事なのはあなたの健康。大胆な発言っていうのはわかっている。そしてみんなにはいろんな国や文化、風習があるのもわかってる。だけど、とにかく聞いて。

わたしは2年前に、日本の医者のミスで重大な病気になったの。死にそうになったの。2年ちょっとの間に大きな病院を3つ転院して、やっと見つけたのが今の治療法。
そして、いろんな看護師と医者と病院のスタッフに出会ってね、信じられないことがたくさんあったの。素晴らしい話もあれば、信じられないこともたくさん。「今のまじ?」って言うような酷い話もある。
みんなにはそんな目にあってほしくないから、大事なことを書くね。

日本の病院は多言語ではない

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わたしは日本語を話せるので、問題ない。でも夫はノー。けっこう時間をかけて英語を使える病院を探したけれど、成功例ばかりじゃない。
だから、病院にあなたの国のことばが話せる通訳がいるかどうか、事前に調査するのは、すごく大事なこと。

通訳制度がある病院はあるのだけど、大きな病院だからといってかならずあるわけじゃない。
しかも、通訳制度がないのを知らずに入院した最初の病院。通訳を呼ぼうとしたら「ここは日本なので」と、きっぱり断られたの。冗談じゃないわ。数日後には転院。もしオリンピック選手が怪我や病気で入院したら、どうするの? あんた正気?

英語を話せる医者がいると聞いたとしても、ちゃんと調査するべき。ある医者は英語が話せると言ったのに、夫には何を言っているかまったく伝わらなかった。
そして「ある程度、英語が話せる」なんていう医者もいたけど、わたしの病気「ある程度」では済まないの。

みんなもそうよ。自分の健康状態に関しては妥協しないで。満足するまで信頼できる医者と病院を探す。これってものすごく重要。

通訳についての事前調査は完璧に

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通訳がいても、他の患者の通訳で待たされるなんてこともある。事前にこれらすべて調べておくべき。緊急入院してからでは遅いわよ。

通訳制度の確認

・実際に同行してくれるのか
・電話対応なのか
・何人いるのか
・24時間体制なのか
・何語が話せるのか
・自分の通訳を連れていけるのか

何よりも大事なのが健康

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医療ミスは怖い。信頼できる医者と病院を事前に探す。いざとなってからでは遅い。信頼できる人が見つかるまで探す。絶対に妥協しない。満足するまで探す。ね。これはあなたの健康。人生。下手するとミスで死んでしまう可能性もある以上、徹底的に探すのよ!

いくらお金があっても、楽しい仕事をしていても、友達がたくさんいても、家族に愛されていても、健康じゃないと意味がない。
曖昧な医者、病院、治療は死をもたらす可能性あり。良い医者と看護師と病院は、かならず見つかるから、満足するまで探してね。必要になってからではなく、いまのうちに!

ママ・アミア(MAMA AMIA)

料理人・タレント。日本育ちのアメリカ人。18歳で渡米、通訳やコンサルティング業に従事する。2011年、東日本大震災を受けて退職し、陸前高田市にてボランティアを開始。7年にわたり数々のメディアを通して世界に被災地の情報発信を続ける。2014年には岩手県知事から表彰、2018年には在サンフランシスコ日本総領事館から総領事表彰を授与された。
別名「Pie Queen」。ハードなボランティア活動で心が疲弊していたある日、故郷の食べ物——バターと砂糖が焼けるパイの香りに癒やされることに気づき、パイの販売を始める。2019年より「ママ・アミア」の名で活動開始。日本在住外国人のママとして元気を発信中。相撲が大好き。
所属事務所Profile

Food consultant/Talent. American born and raised in Japan. Returned to the US at age 18 for university, and continued on as an interpreter and US-Japan consultant. Came back to Japan in 2011 to volunteer in the aftermath of the Tohoku disaster and stayed on in Rikuzentakata (Iwate Prefecture) for seven years. Raised funds, liaised with major international media outlets for coverage of the city and region. One of the primary sources of information on the disaster region for foreigners. Recognized and awared by the Governor of Iwate in 2014 and the Consul General of the Japanese Consulate of San Francisco in 2018 for the work and dedication to promoting awareness. Also known as the PieQueen. Found the scent of baked goods was both food for the soul as well as emotionally therapeutic, she began a business selling American-style pies. Working as Mama Amia as of 2019 promoting cooking and baking using traditional Japanese ingredients and offering advice to foreigners in Japan as "your mother in Tokyo". Big fan of sumo.